リビングの窓から見える山の緑が 落ち着きを持ちはじめていて 黄色や赤へのグラデーションが じょじょに始まりそうな雰囲気です。 枯れる。 落ちる。 その途中で紅葉という過程があって 人がそれを美しいと感じる。 その気持ちを表現したくて 詩や唄、詠、文学やドラマが 生まれたりしているなんて イチョウの木もカエデの木も知らない。 美しくあるために 枯れているのではなくて 枯れている様が美しく、 そこには、なにも乗っていない。 だからこそ、美しいのかもしれない。 でも木々は 実は知っているのかもしれない。 神様だとか宇宙の遠くの人か これが誰かがつくった なんらかの仕組みだったら そうとうイキなプログラムだと思う。 でもまあ、色づくだけの木々に ワビサビを感じるぼくらも そうとうイキな生物じゃないかな。 ふふふんと誇らしく思う。
ひと雨ごとに涼しくなってくる気がします。 今日もごきげんでありましょう。